2009年02月
『疑わしい考え』に苦しむ時 (前篇)
亀川 太志
(こぶしだより 第245号)

・前回十二月では幻聴について自己対処の視点から説明いたしました。
今回は、脳裏から離れない「疑わしい考え」、(被害感、猜疑心)や、いわゆる「妄想」にどう対処したら良いかについて、イギリスの臨床心理学者ダニエル・フリーマンらの著書(*)を参考に考えてゆきたいと思います。

●「疑わしい考え」 「疑わしい考え」とは、ここでは、さしたる証拠もないのに「被害感」を感じたり、「あいつがやったのではないか」としつこく追及するような「猜疑心」を抱いたりすることをさします。
単なる「疑問」と異なるのは、自分に何か悪いことが生じている、あるいはこれから生じるのでではないかという「恐怖心」と、そのような事を「誰か他人が引き起こそうとしている」のではないかという被害感が混ざっている点です。
この「疑わしさ」が、絶対的に「そうにちがいない」といった確信に変わってくると「妄想」と呼ばれる状態に近くなります。

●「妄想的」な考えは正常な心理的反応と地続き 例えば「証拠ははっきりしないが会社のある同僚が自分の悪口を影でこそこそ吹聴しているようであり、そのせいで他の同僚が自分に対し態度が冷たくなったのではないか」と思うことが「疑わしい考え」です。
こうした疑念が事実に基づいているかどうかとは無関係に、繰り返し頭に浮かび自分を苦しめることが実際には問題となります。
そしてとくに確実な証拠もないのに「ある同僚が自分の悪口を言っているので、他の同僚も自分をいじめる(それ以外考えられない)」と強い調子に確信してくると「妄想」的ということになります。
「疑わしい考え」には、この例のように背後に悪い出来事を引き起こす、「犯人」が具体的に想定されている場合もありますが、必ずしも「犯人」像がはっきりしているとは限りません-。
しかし自分以外の「誰かが自分にとって悪い結果を及ぼすようなことを引き起こしている」といった漠然とした感覚は、「疑わしい考え」や妄想的な考えにはたいていつきまといます。
この点で、どちらかといえば自分自身に「人に対して恥ずかしく感じる要因がある」と考えてしまうことに起因するような社交場面での不安感(おもに社会不安障害に関連)と異なる面があります。 また通常病的なものと考えられている「妄想」的な考えは、強い確信や信念の延長線上にあり、かつて考えられていたように意味不明で、一般的な思考パターンとは質的に異なる全くの病的なものとは限りません。
正常範囲の心理的反応と地続きの性格をもつものと考えられています。
近年では認知心理学の視点から、「妄想」も推論や判断のエラーに関わる普遍的な現象の1つとして扱われ、「正常」な心理反応との関連性が注目されています。

● 意外と誰にでもある「ノーマル」な経験でもある。またフリーマンらによるとイギリスでは、70%の人が、これまで一度は、他人が自分を害し苦しませようとしていると「被害感」を感じたことがあるという調査結果があるとのことです。
また別の調査では93パーセントの人が何らかの点で他人に陰口を叩かれていると感じたことがあり、80%の人がしばし見知らぬ通りすがりの人に批判的に見られると感じていることも判明したそうです。
また週に1度の程度で、30から40%の人は自分に対する否定的な発言を他人から受けているとしており、10から30%の人は、誰かにちょっとした嫌がらせを受けるといった、実際に起こりうるような脅威にさらされていると「考えている」こともわかりました。
結局、研究者たちは人口の3割の人々が日常的に被害感や妄想的な考えに悩まされているのではないかと考えています。
このデータからもうかがえるように、被害感や妄想的な考えは程度の差はあれ、誰でも抱く可能性が高いものです。
また日常的に犯罪や危険が多く潜む都市部の生活者に顕著なように、誰かからちょっとした危害を加えられるのではないかと警戒しつつ生活することは、どちらかといえば「ノーマル」な心理的反応でしょう。
多くの人はこうした被害感や猜疑心を抱くこともあれば、それを打ち消し、人を信用し安心するといった心理的なバランスを取って生活しています。
問題はこのバランスが崩れ、被害感や猜疑心など嫌な考えが頭から離れなくなり生活が苦痛に満ちてくるときです。

●「疑わしい考え」のためのチェックリスト 「疑わしい考えが」生じ、なかなか頭から離れず苦しくなってきた時には、まずそれが確実な証拠に基づいた「まっとう」な疑いであるかチェックすることが、必要です。
それには次のような質問を自問するとよいと、フリーマンらは提案しています。
①周りの人は自分の考えを現実的と思うであろうか? ②一番親しい友人はなんて思うだろうか?
③自分の心配事を他の人に相談したことがあるだろうか?(してないならしてみよう)
④恐怖に感じていることについて大げさにとらえていないだろうか?
⑤自分が疑っている事柄について明らかな証拠はあるだろうか?
⑥あいまいな出来事に基づいて心配してはいないだろうか?
⑦確実な証拠によるよりも自分の感覚的な判断に基づいて心配してはいないだろうか?
⑧他にも該当する人がいるのに、とりわけ自分だけを選び出してしまっていないか?
⑨自分の疑いに反するような証拠はないだろうか?
⑩何にかにつけ過度に反応してはいないか?
⑪確かな証拠に基づかない事柄から不安をあおるようなことを探してはいまいか?
誰もあなたの疑念を全面的に支持しない、またあなたの心配していることを支持するような明白な証拠がない時、逆に疑念とは反対の証拠があると感じるような時には、恐れていることが実際に起こる可能性は割引いて考えてよいでしょう。
いずれにせよ、恐れていることが現実的なものかどうかを見極めていくことが、疑わしい事柄に対し心のバランスを取り戻すことにつながるといえます。
つまりそれは、適切な証拠が見つかる時にだけ正当な疑念を持つようにしようということなのです。

●疑わしい考えの起こるきっかけ 疑わしい考えを抱くようになるきっかけにはどんなことがあるでしょうか。
外的な状況因としては、社交場面、しかも逃げることができないような場面、人前にさらされていると感じる時、非難や責められている、あるいは馬鹿にされていると感じるような時、普通でないような事柄が起きているとき、孤立を感じる時などが考えられます。
内面的なきっかけとしては、不安や不幸、罪を負った感じ、恥、いかり、嫌悪感といった感情があり、また意識が興奮したような覚醒感、特に差し迫った危機感や神経過敏な状態、周囲の世界を知覚する仕方の変容(特に匂いや音の異常感覚)、薬物やアルコール物質による酩酊感が引き金となることもあります。
具体的に統合失調症、感情障害、てんかん、パーソナリティ障害といった精神疾患・症状を抱えている場合、疑わしい考えを抱きやすいことは知られており、それが強まり妄想となることもあります。
その他、老化による聴力や視力の低下や、認知症に起因する場合もあります。

● 典型的な反応・対処法 疑わしい考えにたいして一般に人はどんな反応をし、対処するものでしょうか。
たいてい、それらに対して「無視する」、「問題解決に着手する」、「感情的に反応する」、「避けようとする」、「正しものであるかのように扱う」、「理解しようとする」などの対処が考えられます。
多くの人々に見られる反応や対処法のうち、フリーマンらが挙げている「よりよい対処法」とは次のようなものです。
①周問題や状況を脅威と見なさないようにする。
②状況を見極めようとし、何でもないことを理解する。
③状況の肯定的側面を見つけようとする。
④落ち着いてしっかりした気持ちで問題や状況を扱う。
⑤すべてのことに頭をクリアにして臨む。
⑥状況に対して現実的にふるまう。
⑦問題を処理できるように自分自身から切り離して理解する。
⑧自分自身の肯定的な面を心にとめておく。
⑨物事を均等に扱う、つまり実際には他より際立って重要なことはないのだと思うこと。
⑩ともかく何事も個人的に受け取りすぎないようにする。

● あまり役に立ちそうにない反応・対処法 逆にますます被害感を強め、問題解決を困難にしてゆく対処法には次のようなものが挙げられています。
①孤立、孤独になること。
②誰も理解してくれないと思うこと。
③自分の考えには価値がないと感じ、またこれ以上追及するような大した意味は無いと感じること(しかし一方で疑問は続いており先送りにされているだけ)。
④みじめな気分や憂鬱になること。
⑤救いようがなく、自分には何もできないように感じること。
⑥自分自身を批判し責める。
⑦家族や友人を避ける。
⑧問題解決に対して必要以上に自分には力があると考えたり、逆に救いようがないと感じること。
⑨趣味や興味関心がなくなること(被害感や妄想的考えのみに生活が支配される)。
⑩過去に物事がうまく進んでいた時のことを思い出すだけで、今の問題には現実的に着手しない。
結局、「疑わしい考え」に対してどのような対応をすればよいのか、これが自分がしたかった方法なのか、他の方法はなかったのか、他にあるとしたらどんな方法がよりよかっただろうか、等と自問しつつ、対処方法を考えるのがよいとなります。

● どうしてこんな考えが発生し強く維持されるのか?(5つの要因) 疑わしい被害感や妄想的な考えが具体的にどんな仕組みで発生するのかについては、いくつもの要因が作用していると考えられますが、フリーマンらはそれらを次の5つの要因にまとめて説明しています。
①ストレスや生活上の大きな出来事、
②(特に否定的な)感情、
③内的・外的な出来事、
④それらの出来事に対する自分の解釈、
⑤決定や判断に関する考え方の方法(根拠づけ)。
「疑わしい考え」「妄想的」考えが生じ活性化するのは①から⑤にかけて感情や物事の受け止め方が推移してゆくためと考えられています。
具体的には、①ストレスや生活上の大きな出来事があり、その結果、②不安や怒り、憂鬱、誇大的な感情といったマイナス作用する感情が芽生え、さらに以前より抱いていた周囲に対する否定的な思い込みが活性化されたとします。
そういった時に③たまたま目にした他人のしぐさや言動、あるいは悪い出来事・環境に過度に注意が向けられ、④自分に向けられた悪意のように受け取られて感じられると、その理由、背景を自分なりに説明しようとし、⑤他人を貶めるようにはじめから偏った推論をしたり、否定的な結論に飛躍したり、他の可能性を考慮しないような判断をした結果、「疑わしい考え」や「妄想的」考えにとらわれてゆくということです。
今回は、こうした疑わしい考えや妄想的な考えの特徴や成り立ちについて説明しました。
こうしたことの理解自体が、これらの不快な考えに悩まされ続けないための第一歩と考えられます。
より具体的に、どう対処したらよいか次々号でさらに紹介していきたいと思います。

・*DanielFreeman,JasonFreeman,FrippaGarety. 2006 OVERCOMING PARANOID&SUSPICIOUS THOUGHTS. ROBINSON.(未邦訳)

・~~読者の広場~~

・先日十数年ぶりに同級生に会い、食事をしました。
遠方に住んでいるので、年賀状位の付き合いになっていました。
確か最後に会ったのは、誰かの結婚式・・・記憶が曖昧・・・。
札幌に来た時、○○へ行ったのは覚えているんだよね~と、友達は懐かしそうに話してくれたが、「私は行っていない」「私もいた?」と、もう話がバラバラ。
最後には、「私の事、本当に覚えている?」と大笑い。
四十歳をすぎると自分が今何歳なのか分からなくなる。
今度から、計算し易いように西暦で覚える事にしたさと、友達は笑っていましたが、私も同感! 高校受験の為に来た息子さんも、私達の会に同席してくれた。
おばさん達のくだらない話にも、付き合ってくれて、優しい子でなんでか感動しました。