2009年1月号
発行こぶし編集部
第244号
『人のつながり』
藤田毅

・謹賀新年
 いよいよ平成21年、2009年の始まり。
未曾有(皆さんご存知の)の経済不況が世界中に蔓延し、
日本でも非正規雇用者の解雇が続き、今年は正社員も例外ではないと言われている時代。
これからどうなっていくのだろうと、誰もが不安を抱えている時代になった。
生活そのものをどうやって維持するか四苦八苦する時代になった。
 そんな中、皆さんの診療に関連するものと言えば、自立支援制度。
今後、適応疾患やその程度などが厳しく制限されていく事が予想されるし、生活保護だって、中小企業への貸し渋りではないが、新規の受付がされにくくなってきた(と思う)。
あまり期待できる要素のない新年だが、せめて病気が軽くなってくれる事を願いつつ、診療だけは確実に前進したいと思う。

・主張と受容
精神科に携わっていると、本当に人間関係というものは難しいと感じる。
疎通を取るだけなのにうまく伝わらなかったり、伝わったと思ったら本意ではない理解をされていたり、実に不安定である。
その不安定さを形作る要素として、主張と受容のバランスが考えられる。我々が何かを相手に伝えたいと思う時に、そこには主張がある。
主張と言うほど大層なものではないにしても、言いたい事があるわけだから、それを相手に言わなければならない。
そして何かを言えば、相手も何かを言ってくる。そこには相手の主張があるわけで、相手は分かってもらいたいと思うから、こちらはそれを受容しようとする。
でも、うまく受容できなかったら、それに対してまた主張する。
それを繰り返し、お互いが受容できる共通点を探る。そうしてコミュニケーションができあがっていく。
 しかし、その共通点が見つからないとどうなるか...。そう、話し合いは破綻する...。

・自分から変わる
もし貴方の周囲に自分を理解してくれないと感じる人がいたら、どうしよう。もし貴方の周りに自分を拒否すると感じる人がいたら、どうしよう。
そういう時に相手に対して「どうして分かってくれないの?」とか、「どうしていつもそうなの?」とか、考えてしまう。
それは正しいだろうか?
もちろん最初はそう考えてもいい。相手が分かってくれていないのではないかという疑問は、生じて当然だし、確認するべきだ。
そして何度も主張することで、解決する問題も少なくない。
しかし、何度も確認して、何度も話し合ったのに、うまく納得し合えないし、現実が何も変わらないという事も多い。
では、もう手はなく、あきらめるしかないのだろうか。
もちろん、そんな事はない。
相手が変わらなくても、試みてみるべき事はちゃんとある。
それは”自分の方が変わってみる”事だ。

・事態打開のために
往々にして、相手に変化を求める時は、自分にその必要性はなく、相手こそ心を入れ替え、自らの言動を真摯に見直すべきだと確信している。
その中で、相手の非を正さず、自らを変えよと言うのだから、何で私が!と不満に感じるだろう。
しかし、貴方の目標は、相手をギャフンと言わせる事ではなく、今の事態を変えていく事ではないだろうか。
そのための方法論の一つとして、自分を変えていくという手も十分に”あり”だと思うのだ。
例えば、貴方の心に眠る憤りを一旦鎮めて普通に接してみる。
相手は、貴方の怒りが治まったと思い、気が楽になるかもしれない。
気が楽になると、心に余裕も生まれる。
余裕が生まれれば、他人の話も受け入れやすくなるものだ。
喧嘩の最中に「いつも手伝ってくれない」と言っても、相手は「自分なりにやっている」と反論し険悪な雰囲気は続いてしまう。
しかし、余裕のある時に「手伝ってくれたら嬉しい」とでも言えば、案外あっさりと「いいよ」となる確率が上がるのではないだろうか。
正に”押しても駄目なら引いてみな”である。こちら側の怒りは、非言語的なコミュニケーションによって確実に相手に伝わっている。
相手はそれに対して、最大限の防衛本能を発動させている。
お互いに「何故分からないんだ?」の繰り返し。
これではラチがあかない。

・言い方に技あり
感情を抑制させたら、次は言い回し。言葉は難しいもので、ちょっとした表現で益にも害にもなる。
それは日常、誰もが実感しているところだろう。
先の例にもあげたが、ちょっとした言い回しで相手への伝わり方、特に言葉に乗せられた感情の表れ方は格段に違ってくる。
先の例を見直して欲しい。
「いつも手伝ってくれない」という不満を伝えるのに、そのままストレートに伝えるのに対して、修正した言い方は、「手伝ってくれたら嬉しい」という依頼の形になっている事と、”嬉しい”という気持ちを表す言葉が付随している点が異なる。ここがポイントで、特に優しい感情を言葉にして伝える事が大切だ。
相手を認め、感謝の意を伝える事が、こういう状況でとても難しい事は十分承知の上だ。その上で、こうした表現をあえて選択することに意味がある。
相手が、結果的にこちらの意図する方向に気持ちを向けてくれるよう、抵抗感を軽減させてやるのである。
今一度、確認しておこう。目的は、今の事態を変える事であって、相手をやり込める事ではない。
ならば、一旦こちらが引いて、相手が素直に聞いてくれる環境を作ってあげる事は、合理的であるといえないだろうか。
優しい人というのは、こういう事を自然にできる人なのかもしれない。

・間の取り方
会話やコミュニケーションのHOW to 本の類には、間の取り方について良く書かれているものがある。
”間”は発する言語そのものよりも大きな意味を相手に伝える場合がある。
この”間”がうまく使いこなせれば、数少ない言葉で、しっかりとした疎通を取ることもできるだろう。
相手との受容の共通点を見つけられず、お互いに力任せに押し合いをしてしまい、苛立ってしまった時こそ、この”間”をうまく取り入れてみよう。
相手に理解させようとする努力を少し休んで、主張を止めて、一呼吸つく。余裕があれば、相手の主張を聞くのもいいが、大抵は相手の言い分も聞けなくなっている状況だろうから、話し合いを中断するくらいの気持ちでもいい。
”間”は、大抵、会話の最中の一瞬の空白だが、それを拡大解釈して、話し合いの熟成期間と考えてみるのもいいかもしれない。
なので、場合によっては一晩置いてもいい。
一週間置いてもいいだろう。
こうして時間を置くことで、お互いに色々と考えるだろう。
最初は、相手に対する苛立ちだったり、失望だったりする。なんで分からないんだと自分の主張が全面的に正しいと信じて揺るがないから、相手の主張は間違いだと確信している。
ところが、時間が経つにつれて、少しずつ冷静さを取り戻し、相手の気持ちもちょっとずつ分かってくる。そうなると「言い過ぎたかなあ」とか「こんなにモメるはずじゃなかったんだけれどなあ」とか思い直す事もできるようになるだろう。もちろん、相手も同様。 それからまた話し合うとしたら、前回とは少し違った話し合いになると思えないだろうか。
もちろん、両者が同じように感じていれば、きっとその話し合いはうまくいく。
しかし、どちらか一方が進歩なく、苛々や憤慨したままだったら、貴方の考え直した優しい気持ちは踏みにじられてしまうかもしれない。
「もう、こんな人とはやっていられない!」と貴方も憤慨してしまうだろう。
そうなるとしたら、また”間”を取ればいい。
それが結果的に年単位になるかもしれないが、何度でも”間”を取ってみてもいいのではないか。
いつか分かり合いたいと思う相手なら、その位の努力は惜しまない方がいい。

・妥協はできないか
それでも駄目な話し合いならどうするか。
お互いが主張するばかりで一致点を見ない場合は、実はいくらでも存在する。
互いの利害関係が絡んだりして、どうにもならない場合が多々ある。そのために暴力に走る人もいれば、裁判になる人もいる。
できれば、そこまでこじらせたくないとお互いに思っているはずだったのに、いつの間にか相手をひれ伏せさせようとする努力に変わってしまっている。それはとても悲しいことだ。
お互いの主張の半分、いや3分の1でもいいから妥協する余裕があれば、もっと違った結果を導けるのにと思うのだが・・・。
もし貴方の主張していることが、色々な手を使っても理解してもらえないとしたらどうするか。
理解してもらえるまで押し続け、結果的にもの別れになってしまったら、主張は空中分解。もうそんな事はどうでもいい!となるだろう。
かくして、貴方も相手も貴重な関係を壊してしまうことになる。
そうなって、全てをなくしてしまうくらいなら、貴方の主張を今一度整理して、妥協できる部分を見つけ、どうしても譲れない厳選された主張だけにすれば、相手も合意してくれる確率は上がる。
もちろん、その時の満足度は半減するが、全てをなくしてしまうよりはマシではないだろうか。
その方が合理的だとは思わないだろうか。

・良き関係は貴重
それにしても、対人関係は厄介である。
しかし、重要でもあるから、余計に厄介である。
しかもここに書いたような関係性の問題は、実は国家間でも頻繁に行われている。
本当は我々よりずっと賢いはずの指導者の皆さん達が、なかよく協力し合って、人類のため、全ての生命のため、地球のために、何が良いかを話し合ってくれているはずなのだ。
なのに、この厄介な対人関係のために、往々にしてそれは決裂する。色々な利害関係が絡んで。
争い事はこれからもなくならないものかもしれないが、少しでも歩み寄る努力を全ての人が心がけたら、”思いやり”を持つ事ができたら、夢のような世界が築けると思わないだろうか。
ちょっと大袈裟な話になったが、今年は皆さんにとって、良き人間関係の築ける年となることを期待している。
それがいつかきっと貴方を救う貴重なものとなるだろうから。
ちなみに、人間関係で疲れた時には、スヌーピーでお馴染みのピーナッツをお勧めする。
そこにある人間関係は、実にまったりとしていて、奥深い。チャーリー・ブラウンの切なさの中に、深いイイ話(笑)が見え隠れする。
難しい本を頭をひねりながら読むのも良いが、たまには寝転がって、ピーナッツの世界に浸ってみるのはいかが?

・~~読者の広場~~
私は運動が大の苦手…
学生時代も帰宅部で、ず~と過ごしてきた程である。
結婚・出産・子育て、気づいたら体脂肪・コレステロールが急上昇!年々、右肩上がりしていく体重は止められない!これはやばいと思いつつ、重い腰は上がらず過ごしていた。
友人から「今はいいが、長い人生、足腰が弱って動けなくなる!旅行すら行けなくなるよ」と言われ…よく考えるとそれは辛い…。
しかし、運動嫌いの私が運動をするのだから一大決心である。
現在41歳。友人に誘われ3ヶ月!週2~3回頑張って行くようにしているが、体重は殆ど変ってない。
成果が現われるのはいつの事やら…私の道のりはまだまだ長く続きそうです。
皆さんはお正月をどう乗り切りましたか?一緒に頑張りましょうね。ファイトー!(笑)