2002年1月号
発行こぶし編集部
第162号
新年のごあいさつ

・新年あけましておめでとうございます。
早いもので、21世紀になって、もう1年が経ったわけですね。
皆さんはどんな年越しだったでしょうか。
のんびりされた方も、忙しかった方も、気持ちが楽だった方も、苦しかった方も様々でしょうね。
年を越したからといって何かが大きく変わる訳ではないのでしょうが、気持ちの句切りとしては大切な意味を持ちます。
昨年、不調続きだった方も今年はきっと良い年にするぞと自分に言い聞かせる事で、変化へのきっかけになることは少なくありません。
自己催眠みたいなものですね。

・私事ではありますが…
私はやっぱりというか、雑用におわれ忙しく過ごしていました。
何だかゆったりするという事を忘れてしまったみたい。(笑)
この休み中にカルテを整理したのですが、私の力及ばず他の先生にお願いした方や転勤などでこぶしを離れられた方など懐かしい思いで古いカルテを見ていました。その中には勿論、いつの間にか通われなくなった方もいらっしゃいます。
今頃どうしているのかなあと思いながら、元気になられたのなら良し、相性の合う先生に出会われたのならそれも良し、でもただ単に我慢されているだけならどうしたものか・・・、などど考えていました。
内科や外科の病院などでは様子伺いの手紙を出すところもありますが、神経科や心療内科の場合は諸般の事情でそうできない事が多いため、来られなくなった患者さんの現状を知る術がありません。
元気でさえいてくれればと思うのですが、そんな物思いにふけったのが今年最初の出来事でした。

・防衛機制について
さて、今回は通院中の方からリクエストをいただきましたので、そのテーマに沿って後半を書きたいと思います。テーマは”退行”です。
以前に退行を含めた防衛機制について書いたことがありました。
まずはおさらいをしましょう。私たちは日常生活で種々雑多な欲求を持ちます。
しかし社会生活をおくる上で、その欲求通りに行動するのは極めて困難なことです。
そのため”葛藤”を経験することになるのです。
その葛藤は様々な形で不安や罪悪感や恥などの情緒の変化を引き起こします。
ところが、その状態は私たちにとって大変苦しい状況なので、これらの情緒を解消して心の安定をはかろうとする訳です。
こうして、私たちは知らず知らずのうちに(無意識に)心の動きや行動を選択しているのです。
この働きが防衛機制というわけです。

・退行について
私たちの身近で防衛機制の働きを観察することができます。
殊に子供のうちは、そうした働きが理性的、倫理的な観念に邪魔されない分、わかりやすく現れることがあります。
皆さんの中には2人以上のお子さんをお持ちの方がいらっしゃると思います。
最初のお子さんが生まれた時はどう接していいかわからなかったり、かわいくて仕方がないために少々かまい過ぎになってしまうことがあります。
ところがその長男や長女の下に弟や妹が生まれると、上の子は急におもらしをするようになったり、母親の体に妙に触りたがったりすることを経験されたことがありませんか。
いわゆる「子供返り」をしているわけです。
実は、これが『退行(regression)』というものです。
退行は、すでにある一定の発達段階に達していたにもかかわらず、葛藤や不安が生じて心が不安定になり、それ以前の発達段階に逆戻りすることなのです。
こうすることによって、人は自らの欲求をかなえようとしたり、心のダメージを回避しようとするのです。
子供の頃はご両親に守られて何も怖いものが無く、自分で危険に立ち向かう必要が無いから、苦しい状況になると子供の頃に戻って親のような絶対的な力の陰に隠れたくなるのだと考えると、少しはわかりやすいかもしれませんね。
しかし、この退行は病的なものとして捉えられがちですが、元々は私たちが自分を守るための防衛システムなのですから、正常な反応としてあらわれることも多いのです。その際には退行が私たちの言動の中に部分的、一時的にしかあらわれないので、気付かれないことがあります。
例えば、飲酒という行為を考えてみましょう。
飲酒によって私たちは普段言えないことが言えるようになったり、思わず大胆な行動をとってしまったりすることはよく経験することです。
このことから飲酒は、作為的に理性を緩め、感情を何の迷いもなく表現できていた子供時代と同じような状態になれる、つまりその時代に逆戻りする行為ともとれます。
うまく使えば有効なストレス対策になるでしょう。こうして退行という防衛機制は私たちの生活の中にちゃんと組み込まれ、私たちを助けてくれることがあるのです。
ところが、問題になる病的な退行は、これが全般的かつ持続的にあらわれがちです。
勿論、一時的な病的退行もありますが、私たちの目に明らかに異常と映るのは、ある程度の期間、言葉使いも行動も幼稚な印象を与えるようになり、しかもそれが本来のその人に似つかわしくない形であらわれる時でしょう。
こうした反応の背景には、神経症のような病気が隠されていることが多いのですが、自らの精神状態を正常に保つ術を失い、病気であることから離れてしまうことに強い恐れを抱いているのです。

・病気の世界
健康な方には想像し難い場合があるかもしれませんが、私たちがこの社会で生きていくのは大変なことです。
誰もが知らず知らずのうちに何らかのレールに乗っかって、多少の波風はあってもそれなりにやっている状態で生活しています。
しかし実際には生き辛い世界なのかもしれません。
その生き辛さを強く感じてしまったら、おそらくその場に立ち竦み、前にも後にも進めない状態になってしまうのではないでしょうか。
不幸にして病気という厄介なものと付き合わされている方は、こうした生き辛さを強く実感しているのでしょう。
行き場がなくなり、居場所がなくなり、ついには退行の世界にはまり込むことがあっても不思議ではありません。
誰も好き好んで病気になる人はいないのです。
できれば皆と同じ健康でいたい。そう思っています。
でも、病気の世界から抜け出るのも怖い。これが正直なところでしょう。

・今年は・・・
私たちはこうした不安や恐怖と立ち向かうためのお手伝いをしていますが、なかなかそう簡単に事は進みません。
この不安をどう取り除き、どう乗り切るか。
その答えは一人一人違うのです。
ですが、答えは必ずあるもの。
健康でありたい、そう思う気持ちが絶えない限り出口は見つかるものです。
今年は皆さんにとって少しでも楽な時間が持てるよう、私たちも努力したいと思っています。
(藤田) ====================================================================

・~読者の広場~
〈食のシリーズ29〉
『キタアカリ』
ネコ吉
好きな絵がある。
もともと絵は美術館に行ったりしていたから絵画好きな方。
ただ人混みがキライなので、人の合間をぬって絵を見なければならないのは非常に疲労感を感じるのため、足が遠のいてはいた。
商用に展示しているのはセールスマンがうるさくて近寄らなかった。
でもある日、山頭火の文を絵にしている画家の展示を見に行って、その隣のスペースで壁にかかっている絵を気に入ってしまったのだ。
「千と千尋の神隠し」を制作した事で有名なジブリの作品「耳をすませば」の中で使用されている絵だったのでなおさら気になった。
(私はジブリ好きです。三鷹のジブリ美術館にも行きたいですね。)大きな海の絵がかなり気に入った。
もちろん私には小さな絵も購入できる訳もない。
絵が多く入っているCD‐ROMとぞうのぬいぐるみ(「めげぞう」と言うそうです。)をそのときは購入した。
次の年もその展示はやってきた。
はがきサイズの絵をそのときはなけなしのお金を使って購入した。
今年もやってきて、展示期間の一週間の間に4回見に行ってしまった。
(もちろん仕事が終わってからです。)
展示の度に来札されている画家の方ともかなり話したり、かなり長時間展示場に居座って(それは迷惑だったと思いますが・・・。)絵が売れていく様子を見ていた。
私が居ると自然に話の内容が食べ物の話題になってしまう傾向がある。(職業病ですね。)
画家の方のお住まいは関西とのこと。
札幌に来るたびに料理を食べるのを楽しみにしてらっしゃる。
北海道は食材がとにかく良い。
鮮度が違うからサラダだけでも違いを感じるのだそうだ。
中でも、とうもろこしの甘みの差には驚いたとおっしゃっていた。
さりげなく全てが美味しい。
そう聞くと喜んでしまう道産子である。
キタアカリを是非食べて頂きたいと思ってしまった。
キタアカリはジャガイモ。
ほくほく、黄色みがかって、甘みがある。
コロッケに最適。
粉ふきいもでも十分美味しい、ジャガイモの新種だ。
季節になったらお送りしますと言って展示場を後にした。
それから季節は秋になり栗カボチャとセットになったものを商品は見ずに店頭予約して送ってもらった。
品物を見ることが出来ずに送ったことを少し後悔した。
気になったのでその方のサイトの掲示板に「キタアカリはどうでしたか?」と書き込んでしまった。
それからしばらくして本が届いた。(催促したかとかなり後悔しました。)最初に好きになった大きな海の絵(作品名・「海の回廊」)が載っていた。サインが入り、こんなメッセージが書かれていた。
「世界はわたしのごちそうさま」
(画家名・井上直久最新画集名「世界はあなたのコレクション」)。
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