・岩見沢版は最終号となります。 長い間御愛読ありがとうございました。 ●ゴルが死にました 一週間の「老人性痴呆疾患保健医療指導者研修」に私が奈良へ旅立った翌日、二月十九日夕刻、私の愛犬ゴルが妻に看取られながら十三年の生涯を閉じました。 前日の朝、相変わらず元気は無かったけれど、尾を振って私を送ってくれたゴルでしたが。 研修第一日を終えて、気になってかけた我家への電話で知ったその悲報は私に余りにもショックでした。 もう少し生きていてほしかった。 ●私は仕事 良否は別に、人間中心の現代社会で「たかが」犬の死で仕事の全面放棄は出来ません。 まして札幌を除く北海道から医師二名だけの研修を放棄すると周囲に迷惑をかけます。 宿と研修会場の往復で奈良公園の鹿たちの瞳を見るたびに、ゴルの瞳を思い出して私の眼にも涙が滲んできました。 ●ゴルを送る 研修後は観光どころでなく、家に飛んで帰り腐敗防止のために雪深く埋められていたゴルを掘り返してあげました。 布団の上に寝かせられたゴルはまだ生きているようです。 ただ眠っているだけで、声をかければすぐにでも走りだしそうな・・・。 二月二七日淨安殿で荼毘に付しました。 雪から出して家の布団に移す時、そして車から火葬の台に運ぶ時、私独りでゴルを抱きかかえて、三〇㎏を超える重さも肛門嚢から溢れ出る刺激臭も何も気になりません。ただ涙が溢れるばかり。 そして今ゴルは小さな遺骨となって一緒に家に帰ってきています。 ●後悔 たかが犬のことと思われる人もいるでしょうが、私たち夫婦にはゴルは私たちの子供でした。 ゴルに愛情を注いだだけでなく、ゴルからも大きな情愛を私たちが受けて今日まで頑張ってこられました。 最近体力が弱ってきていたゴルは、散歩といえば以前の数分の一の距離をゆっくりと回って自分から帰路につくものでした。 しかし先日の私との散歩で、久しぶりに進んで自衛隊の裏山まで足を延ばしました。 何度も雪山によじ登り、周囲の風景を噛みしめていました。 しかし一度その向こう側の新雪の深みに入ってしまった時、もがいてももがいても自力でそこから抜け出すことが出来ません。 野生動物であればこうして死の道を歩むのだろうなと思いながら、何とか助け出し時間をかけてゆっくりと家まで帰りました。 帰宅が余りにも遅いのを心配した妻は玄関に待っていました。もう当時からゴルは死を予期していたのかもしれません。 考えるほどに私の胸中に後悔が募ります。 元気な時にもっと散歩をしてあげればよかった、生まれて間もない頃に忙しさにかまけて留守の部屋に独り閉じ込めて可哀想なことをしてしまった、もっと野原を自由に走り回らせてやりたかった、幾春別川でもっと泳がせてあげれば良かった、もう一度一緒に駒ケ岳を登りたかった、・・・・・・・ 考えても、ゴルは、もういません。 ●ゴルとこぶし神経クリニックの十三年 私と長いお付き合いの方々はゴルのことを大体ご存知でしょう。私は「こぶしだより」で何度もゴルのことを取り上げてきました。 心や健康の問題が人間だけのことではなく生命あるものに共通すること、何よりもそれは特殊な事柄ではなくごく身近な生活の中に見られるものであること。 しかし余りにリアルな他人の事例をお話するわけにもいかず、するとゴルや我家の家族が話題になる。 おかげで患者さんからも「ゴルちゃん、元気?」と声をかけられて、私も親バカのうれしい気持ちで診療を続けてきました。 岩見沢のこぶし神経クリニック開院は昭和六三年八月一日、ゴルの誕生は同年同月の五日。 そして岩見沢の診療所はこの三月末に閉鎖され、ゴルもその直前に骨となりました。 ゴルと岩見沢の診療所は同じ時間の歩みを辿ってきました。それだけに私の感慨はひとしお。 十七坪の小さな診療所が始まった頃のある休日、まだまだ小さかったゴルと診療所にいって患者のHさんと会った時に、ゴルがヨチヨチとHさんの足元に近づき、脚を挙げて彼の靴にオシッコをかけたことまで昨日のことのように思いだされます。 ゴルと最後のこの一時も、今まで同様ゴルと私からの心と健康についてのメッセージを書きましょう、ゴルとともに私たちが学んだことから。 ●健康と病気=生きることについて 今までゴルにもたくさんの病名や状態名をつけました。強迫神経症から始まって、脳血管性痴呆まで。 しかしゴルは今の時代の犬としては比較的幸せに生きたのではないかと思います。 病気だからといって特別視もしなければ、特別な治療もしません。もちろんゴルも自分の病名を気にしません。 病気とは人間が生きることに支障ある場合に、その克服方法を対応させるために便宜的につけた心身のある状況の輪郭、問題は幸せに生きていけているか否かでしょう。 病名に拘ったり、病名を聞いて納得してしまったりするのではなく、必要なのは生きていく知恵や支援を得ること。 もちろん「幸せとは何か」も良く考えなくてはなりませんが。 また今の私を「ペットロス症候群」と輪郭を描く人もいるでしょうが。 ●生きることの意味=若い人たちへ ゴルはハスキーとしては比較的長生きでした。 でも何故、何のために生きていた?そんな問に答はありません。 ゴルはギリギリまでただ一生懸命生きました。 それが私たちにも嬉しかった。 人間の若い人たちは「自分が必要とされているか?」「生きる目的は?」と悩みます。 しかしこの考えは、時には必要とされない存在・目的のない存在を、それが自他であれ簡単に傷つけたり抹消しようとする。ゴルが教えてくれたことは、生きていることそのものに価値があるということ。そして愛する者にとっては、生きていてくれている、それだけで嬉しいのです。生きていることそのものに価値がある。それを否定する主張は現代を生きる苦痛からの逃避でしょう。 ●虐待と愛情=お母さんたちへ 血の繋がらない子供、ましてや人間でない子供を何故こんなに愛し、その死を悲しむのか。それは十二年余、ただゴルのために多くの時間とエネルギーを私たち夫婦が費やしてきたから。「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思っているのはね、その花のために、時間をむだにしたからだよ」(サン=テグジュペリ作・内藤濯訳「星の王子さま」のキツネの王子さまへの言葉) 「子供を愛せない」と言うお母さんがいます、「だからネグレクトをしてしまう」と。愛情があるから世話をやくのではなく、世話をやくから愛情が育つということも忘れないでください。 かつて私はゴルを躾るためにただ一度木刀で叩いたことがあります。 これは間違いでした。これは最後までゴルの心の傷になりました。しかしその失敗でゴルと私の関係は断たれませんでした、その後の私のゴルへの愛情と時間とエネルギーによって。言葉による謝罪や言い訳はゴルにもちろん通じません。 ●反抗して生きること=子どもたちに ゴルは結構わがままで私に反抗し、数年前まで毎年血みどろの戦いをくりかえしました。 反抗的で良いじゃないですか、従順であるよりも。 それがゴルの魅力でした。特に人間であれば、親や大人から言われたからそれに従う、規則だから守れと言われる。 イヤなものは「イヤ!」と言えて、それぞ人間。 それが誤りであれば、親や大人ははっきりと筋の通った戦いをすれば良いのです。 もちろん人間の場合、自己主張をするときには子供であってもその責任を伴いますが。 愛することと愛されること 今日の子供も若者も、そして大人までが「愛されること」を望みます。 「愛されていない」と言って悲しみ、時には相手を責めます。私たちはゴルを愛していました。 ゴルも私たちを愛してくれていたようですが、判りません。それで満足であり、相手はかけがえのない存在でした。 ブームに流されず、「愛される」ことの満足よりも、「愛する」ことの満足の方が、大きな幸せではないでしょうか。 ●明日へ=残されるものへ 存在するものが去ることも避けられない現実。父が逝き、姉が逝き、母が逝き、私たち夫婦が残りました。ゴルが逝っても、我が家にはポンとナナが残っています。ポンは何度もゴルの遺体のところに行きながら、ここ数日はお客が来ても以前のように逃げません。次の自分の立場をわきまえていると言ったら言い過ぎでしょうか。しかし歴史はこうして繋がっていきます。決して途絶えるのではありません。 ゴルの一生とともに、岩見沢のこぶし神経クリニックは始まり、そして終わろうとしています。しかし新たに岩見沢には大月クリニックが誕生します。札幌こぶしクリニックは新たなスタートをします。まだまだみんな、皆さんとの関わりをこれからも続けていきます。感慨! 『新しい診療所の名前は「大月クリニック」です』大月康義 皆さんからもいろいろなアイデアをいただいたのですが、いろいろ考えて結局は一番単純なところに落着きました。この名前になじむまで皆さんもしばらく時間を要するでしょうが、どうぞよろしくお願い致します。それと同時に家族や知り合いに教えていただけると幸いです。 ●これからの抱負 基本的にはいままでどうりの診療スタイルを継承していきます。若年から老年までクリニックで対応できる限り診ていきたいと思います。その中でも特に不登校など思春期の問題を相談されることが多く、地域の中でそれなりのシステムづくりをしていきたいと考えています。また、地域の中で往診や講演などにフットワーク軽く動いていきたいと思います。ともかく私なりの特色は毎日の診療の積み重ねから自然に生まれてくると思いますのでそれまでじっくりみていてください。 ●今年の2月に今までの成果がありました 一つは共訳で「PTSDの医療人類学」がみすず書房から出版されました。完成まで5年間かかりました。トラウマについてはジュディス‐ハーマンの「心的外傷からの回復」とこの本が基本書となるだろうと言われています。自画自賛かもしれませんが内容のある本です。書店で見かけたらちょっと中も見てみてください。もう一つは共著で「文化人類学序説」が金剛出版から出されました.精神科臨床における聞き取りの重要性とコンテキストの読み取りの大切さについて書きました。ちょっと専門的にすぎるかもしれず、わかりにくいかもしれませんがパラパラとでも見ていただけると幸いです。 ●4月から変わることは 皆さんにとって変わることは、基本的にはクリニックの名称と三田村先生の水曜診療が私に変わることです。特に後者についてはできるだけスムーズに大きな変化なく移行できるように勤めたいと思います。 皆さんの心の健康を守るために今後とも努力していきたいと思っております。 『こぶしは新しい時代へ』藤田毅 今月は皆さんに重要なお知らせがあります。 皆さんと私たちの「こぶし」は、昭和63年に岩見沢の地で誕生しました。三田村先生の開設された「こぶし神経クリニック」です。地域に密着した精神医療を目指して、当時は珍しかったメンタルクリニックのはしりでした。そして、平成7年に新たな地域医療のあり方を目指して、札幌こぶしクリニックが開院しました。 母体となる病院を持たない診療所だけのネットワーク。それは、より地域に密着し、皆さんとの距離の短い、フットワークの良い医療を行わなければ、実現できないものです。そしてそれは、それぞれの土地の地域性や人間性を生かせて、しかも連携による充実した医療を行える有効なシステムだったのです。皆さんの中にも、どちらかのクリニックの休診日に、もう一方のクリニックで診察を受けたり、薬を受け取ったりされた方がおられるのではないでしょうか。そういう利便性もこのシステムのメリットでした。 しかし、こうした連携をしていく一方で、岩見沢と札幌の各々の街の特徴に、より一層相応しい医療を提供し、各々の医師の特徴も出していくにはどうしたら良いかということを私たちは考えていました。それに対する答えとして私たちが決断したのは、岩見沢の「こぶし神経クリニック」の独立なのです。札幌こぶしは従来どおり、医療法人社団こぶしの中の診療所として存続されますが、「こぶし神経クリニック」は、大月先生の理念のもとで、この4月から新しい診療所として生まれ変わります。それは、大月先生の理想の医療を目指すために必要であり、岩見沢でかかられている皆さんへのより良い医療を提供するために必要なことと考えています。勿論これからも2つの診療所は、ゆるやかな連携をとることになりますが、今後は別々の診療所として、お互いに励ましあいつつ皆さんとのお付き合いをさせていただくことになるでしょう。 ●新しい時代は地域から・・・。 大きな組織よりも小回りの効くシステムで・・・。 昭和の終わりに志した地域医療の一つの形は、新しい試みへと引き継がれていくのです。これからも岩見沢の新しいクリニックを、こぶし共々、よろしくお願いいたします。 『大月先生の本の紹介』三田村幌 今年の2月に岩見沢こぶし院長・大月康義先生の書かれた本が相次いで2冊発行されましたので、紹介しましょう。 ①「PTSDの医療人類学」みずず書房7000円 ②「文化精神医学序説病い・物語・民族誌」3500円 出版されたばかりなので私もまだ十分眼を通しておりませんが①は精神医学界のみならず、最近は詩の翻訳や絵童話でも有名な中井久夫先生を中心に大月先生たちが共同翻訳したもの。原著者は人類学の視点で、日本でも神戸大震災以来注目されるようになったPTSDの概念の歴史と今日的問題を追求したもの(原題:「幻想と調和」)。PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉は今やマスコミでも良く取り上げられるとともに、患者さんたちの中にもこの言葉がもてはやされたり、ついには精神科医の間でもその概念の拡散が懸念されている中で、一方には脳の機能障害として生物主義的狭小化も図られている。これらを狭い医学の外側から、歴史的にかつ批判的に吟味されている点では熟読に値します。②は1997年7月に開催された「文化精神医学コロック(和歌山)」をもとに構成された論集であり、その中に「精神科臨床とバフチンの思想―文化精神医学の方法論としての対話的民族誌―」という大月先生の論文も収録されております。これはロシアの文芸批評家ミハイル・バフチンの概念を精神科診療場面での対話というものに導入して、臨床精神病理学的事象を地誌あるいは民族誌的視点で理解しようとするもので、先生の北見での臨床経験も具体例として紹介されています。 どちらもやや専門的で、一般の方が読むには難しいかもしれませんが、これらに共通する大月先生の社会精神医学的視点は、今までの研究からこれから岩見沢地域での臨床に生かされる方向のひとつを示すものです。興味のある方は一度手にしてみると良いかもしれません。
Sapporo Kobushi Clinic