2001年07月号
発行こぶし編集部
第156号
『産業革命と情報革命』
三田村 幌

・『19世紀の「産業革命」は人間を非生理的時空間へ、21世紀に向かう「情報革命」は人間を非生理的精神空間へ!! 』
三田村幌
最近つい自分の体調の問題から入ってしまう。他人様に心身の健康を語りながら長年無理をして、自分の健康を疎かにしていた。そこで「これからは見本となるような心身健康な生き方を示そう」と考えていたのだが、結局は歯医者さんを皮切りに病院通いを始めて「見本となるような患者、あるいは病気との付き合い方」を語ることになってしまった。 診療所の受付でスタッフに患者さんが「三田村先生、嘘ついてるよ。64歳だって!」と言っている話を耳にした。いや決して嘘をついているわけではない。以前に「こぶしだより」に「実質65歳のこの身体」と書いたことに端を発しているのだが、さらにその以前に「交通事故以来10歳多く歳を数えている」と書いたことをご存知の方も中にはいるだろう。つまり間もなくあの九死に一生を得た交通事故からちょうど10年になるが、助かったとはいえ身体に様々な後遺障害を残して、暦年齢は54歳だけれど、生物学的実質加齢は64歳というわけ。 一時は「不死鳥の如く蘇った」などと馬鹿なことを言っていたが、どうも年齢とともに無理がきかなくなり、ここ数年春になると鬱病に加えて、右頚項肩部上肢の痛みから痺れが酷く繰り返される。若いうちは事故のダメージをカバーできた抵抗力が、加齢とともに落ちてきたせいだろう。(この点では後遺症は何でも時間とともに少しずつ良くなるものと決めつけるべきではない。)もちろん鬱病がそれに拍車をかけている。症状に気付きながら「命があっただけ儲け物したな!得した今の人生だ」とまた初心に帰ることが大切なのだろう。そしてこの後遺症状とはこうしてこれからも「長く上手なお付き合い」をしていこう。

・急激な南北の移動も、東西の移動も身体には負担になる
何でこんなイントロがこの長いタイトルの後に続くのか?実はこのタイトルは5年前の「こぶしだより」にも書いたのだけれども、テクノストレスについての講演などで私がいつも言っていた台詞なのだ。テクノストレスで注意を喚起したいのは後段の「情報革命は人間を非生理的精神空間に引き込む」ということなのだけれども、今回はある最近の経験から前段の「産業革命は人間を非生理的時空間に」の部分から語ろうと思う。 今春の鬱状態も事故後遺症状も大分抜け出して、6月に九州の友人のところにお見舞いに行った。時間の都合もあって敢えて梅雨前線の真っ只中の九州へ、最も過ごしやすい季節の北海道から。もちろん飛行機でその日のうちに九州である。しかし急に高温多湿の世界に入って再び首右上肢の痛みと痺れは最悪になる。全身も不調だ。つまり私の身体のホメオスタシス(恒常機能)が全然働いてくれないのである。そして今なおそれが続いている。同じような経験をしたことがある人も多いだろうが、これは南北移動による気温を中心とする天候の変化だけではない。20年も前、飛行機で太平洋を渡りニューヨークに行った当初、日中にはものすごい睡魔に襲われ、夜は不眠という事態が2週間ぐらい続いた。これは人間の身体にはサーカディアン(類日)リズムというものがあって、昼夜・覚醒睡眠のリズムを刻んでいるが、地球の裏側ではそれが逆だからである。幸いサーカディアンリズムというのは25時間リズムだから2週間もすると上手く周囲のリズムに合っては来るのだが。また1年後ニューヨークから西回りで帰国する時にはハワイで数日遊んで帰ってきたが、その時にはこの昼夜逆転の苦しみは生じなかった。 もちろんこうしたことは昔、東海道をテクテク歩いて南北に移動した頃には無かった。東西の移動も気球で「80日間世界一周」などと言っていた時代には問題ない。それは身体に適応可能な範囲のゆっくりとした環境の変化をもたらしていたから。しかし産業革命が様々な発動機の発明とともに、機械工業を興し大量生産を進め、その製品を全世界に広げるために発動機は汽車、汽船、飛行機、ジェット機へ高速移動を可能にしていったが、それは人間の生理的時空間のスピードをはるかに越えるまでにしてしまったのである。 産業革命の「成果」はさらに様々な影響を人間の身体に与えている。(ここではこうした産業構造の変化が自然環境を変えて、その環境変化が人間の身体に与える影響には触れない。酸性雨、温暖化、オゾン層の破壊等。)電気は夜も明るくして工場も街も24時間働き、改善された3交替勤務であっても人間のサーカディアンリズムを崩している。潜水病、ケーソン病だって、そんな仕事は昔なかったし、これもゆっくりと気圧を戻していけば罹らない病気なのだが。最近の宇宙旅行での浮腫、平衡感覚や筋力の低下もこれらの延長にある。 人間の身体は驚くほどの範囲で環境変化に適応する力を持っている。しかし「その変化のスピードは人間の生理的時空間の範囲内で」という注意が必要なのである。もちろん、年齢・体力などの個人差はあるが、これが犯されると人間は病気になる。そしてそれを注意し解決の道を示しているのも科学・技術の力ではあるが。

・情報革命について1=情報のスピードに精神は追いつかない
ついでに情報革命の問題も少し触れておこう。今日本をあげて「IT革命」などと言っていることだし。まずは以前の引用。「人間の脳を構成する神経線維の情報伝達速度は、1秒間にせいぜい100m、シナプスでさらに時間がかかる。それに対して電流は30万㎞/秒、もちろんCPUを流れる電子の速度ははるかに遅いが、神経では比較にならない。脳が例え並列処理が得意だとしても1秒間の情報処理量はコンピューターと競えるものではない。人間がコンピューターに支援を仰ぐとしても、人間が支援者に合わせることは非生理的で無理なことなのである。もちろん感情という生理現象も無視される。」

・情報革命について2=情報の量に人間は追いつかない
情報科学技術の発達はそのスピードの更新のみならず、その記憶量をも大幅に増やし、これまた人間の脳の比ではなくなってしまっている。もちろん従来から人間は図書館や書斎などに情報をしまうことは出来た。しかし日常の当面の処理に使われる短期記憶には限界がある。コンピューターはCPU周辺に数多くの記憶を一過性に保存してそれを処理に使えるのだが人間はそうもいかない。情報科学とともにここ数十年のうちに発達した認知心理学の分野で「マジカル・ナンバー7」というのがある。ミラーという学者が研究に基づいて言い出したもので、人間が短期記憶で想起できるのはみな7±2項目(「チャンク」という)だけだという。なるほど私も市内の電話番号を7桁、7個の数字まではとりあえず覚えることができるが、市外局番まで入ると覚えきれない。先日も携帯電話の番号を覚えられなくて失敗した。多分若い人は「090」や「070」を、さらには次の3桁もまとめてそれぞれ1チャンクとして覚えるから平気なんだろうが(このテクニックは勉強にも使えるよ!)。しかし何れにせよコンピューターを駆使した大量の情報が目の前に次々と晒されている現代の人間にその情報をシッカリと受け止めて処理しようというのはどだい無理なのである(老化による記憶力減弱だけではない)。当然無理をすると胃に穴があいてしまう。そこまで行かなくても心身への影響は大きい。

・「適応」ということ
人間は時空間の中に生きている。さらに人間の中には精神空間がある。その時空間を、人間を含む物質が移動し、個々の人間の精神空間はそこを情報が出入りして処理されている。科学が進歩し、便利さが増すと人間はそのペースに自分を合わそうとする。それはひとつの「適応」であるが、人間の生理機能の限界を超えた無理な適応は心身を損なうのである。 最近我々の世界で「診断基準」に世界保健機構のICD10とか米国精神医学会のDSMⅣとかいうものを用いることが多い。実はこれは「病気」の診断ではなく「障害」の診断であり、そこに多くの誤解を孕んでいるのだが、今回それはさておいて、これらの中に「適応障害」という診断名があることに注目したい。ここでは過剰適応(これも重大問題であるが)よりも主として適応不全が述べられている。ここにもその一端があるが、今の世の中はどうも「適応は善であり、不適応は悪である」という考え方が強い印象を受ける。しかし上記の現状は必死になって適応することが果たして良いことなどだろうか、と考えさせられてしまう。

・適応と変革
人間は過去の歴史で、環境に適応するばかりでなく、実は自分たちに相応しくない環境であればその環境を変えることによって生きてきたのではないだろうか。もちろん自らが変えた環境に適応するために必死になっている姿が上記の現代人であり、また変えた環境が新たな問題を人類に投げかけてはいるのだが。 かつてバブルに踊らされて(これも一種の社会適応だった!)多くの傷を負った現代日本人が、今度は「痛みを伴う変革」を素敵(?)な「変人」リーダーのもとで受け入れようとしている。こうなると現代を生きる日本人はみんな「傷だらけの人生」を負いそうだ。 大切なことは人間には、そして個々人にも、変化と適応には生理学的な許容範囲があり、それに従って生きていくことである。時には適応よりも適応拒否や変革を選択することも大切である。 今また、亡くなったゴルとこの冬に雪山を散歩したことを懐かしく思い出す。そのときの時間の流れも、歩みも実にユッタリとしたものだった。多くの言葉を使わないしかし十分なコミュニケーションがあった。こう書くとまた「三田村先生はまだペットロス症候群から抜け出ていない」という陰の声も聞こえてくるが。(とりあえず、おわり)

・~読者の広場~〈食のシリーズ24〉
『日本の朝ごはん』ネコ吉
今、気分転換に読んでいる本があります。新潮社から出ている文庫で、向笠千恵子さん著、「日本の朝ごはん食材紀行」です。 本の内容はタイトルの通り、朝食によく上る食材の産地・生産者を訪ねレポートを4ページほどにまとめ、写真・電話番号も載せられている朝ごはん食材集合本になってます。たかがそれだけの本かもしれませんが、3食の中で一番食欲に乏しく、おろそかになってしまいがちな朝食を見直して、それじゃ美味しい物を用意してしっかり食べましょうかって気分にさせてくれる本なのです。 朝、忙しい時間でも食事の幅はけっこうあって、ご飯、パン、コーンフレーク、おそば(駅の立ち食い)、近頃では液体の栄養食品等ありますよね。用意はとりあえず出きるとして食欲をどう沸かせるか?なのですが、ご飯は炊き立て、パンはトーストしたばかりでバターがとろりと溶けるぐらい。コーンフレークはフレッシュな果物がのっていると、あっ、ちょっと食べようかなって気になりませんか? 北海道とはいえ夏ばてする方もいらっしゃいますが、やはり予防策として朝ごはんを食べられることを推奨したいと思います。炭水化物があって、野菜があって、タンパク質がそろっていたら、まあ、合格です。なかなかそんなにそろわないよ、って思われるかもしれませんが工夫次第です。あくまで簡単な一例ですが、パンをトーストしてジャムか蜂蜜をぬり、トマトを切って、チーズを一切れ。コーヒーがあったら目覚めすっきりメニューです。トマトもプチトマトだったら全く包丁を使わずに済みますね。もちろん野菜の種類が豊富だったらなお良いし、チーズを卵やなんかに変えてもOK。 このごろ私は朝はご飯党でお浸しや魚なんかをつついて、職場でコーヒーを飲んでいるパターンです。必ず3食食べなきゃ気が済まない食いしん坊です。 朝食ダイエットなんてありましたが、そんな食べないなんてもったいない。なんか健康を捨てているような感じですね。 ちょっと憂鬱な気分を朝食で吹き飛ばして、元気で一日行きましょう!