こぶし

こぶしだより 1998年10月号

1998年10月号
発行こぶし編集部
第123号

『ボケチャッタ母さんの家庭介護日記(その2)』
三田村幌

通所サービス開始!
 私の母、実は今日10月1日から北村ナーシング・ホームの通所サービスの利用を開始しました。
このエピソードを書こうと思って、今回のこぶしだよりの発行がチョット遅れたというのは言い訳になりますが、疲れたのか母は今スヤスヤ寝ています。いつもであれば一晩中オシッコに起きているのに。
げで今日は妻もゴルもポンも母のそばでスヤスヤねています。ここにいたるまでのお話は・・・。

「まだらボケ」には腹が立つ!

 前回も書きましたが、痴呆の母とつきあっていると腹も立ちます、病気だと理解いながらも。
ただの物忘れかと思うと、昔のことは覚えている。
それも「逆行性健忘」かとおもうと、今年自分の娘が亡くなったことを覚えているのに、昨年自分の夫が亡くなったことを覚えていない。
自分の娘や父母の名前は覚えていて、一番長く連れ添った夫の名前は出てこない。
すべてがこの調子。日頃の注意も、肝心なことは全然覚えていないくせに、余計なことは覚えている。
これが脳血管性痴呆の「まだらボケ」だけれども、ついこちらはカッカとしてしまいます。

ショート・ステイはイイ「ホテル」!

一番これえにつきあう妻も大変。介護者が疲れ果てては長い勝負はできない。そこで8月に北村ナーシング・ホームの短期入所「ショート・ステイ」を1週間やってみた。
これは何と!退所日に迎えに行くと、あのやっと幽霊のようにフラフラ歩いた母がスタスタと歩いて来るではないか。
表情といい顔色といい実に良く、他の入所者と他愛ない(かみあわない)話を楽しそうにして、みんなに挨拶をして帰宅の途についた。
もちろん職員の努力苦労のおかげだが、あおの広い空間で、多くの人に毎日接することもとかったのだろう。
しかし身体は元気になっても痴呆という病気の進行はやむを得ない。1週間の間に名前を忘れられてしまった私の妻はショック!しかし「あのホテルは楽しかったよ」だって。

一瞬一瞬を生きているのも素晴らしい!

9月は母の誕生日。84歳、不思議にもこれは覚えている。まあ、周りがしつこく繰り返しているせいだろう。
先日も妻の妹に34歳と答えたというから実感ではない。
バースデイ・ケーキを用意した。
84本の蝋燭というわけにはいかず、数字の形をした蝋燭がともされる。
これは母の肺活でも消すことは出来た。
そしてそのケーキを口にして「美味しい!こんな美味しいもの今まで食べたことがない!」だって。
振り返ると最近は食事のたびにこの台詞だ。妻がそんな料理名人とは思えないのだが。考えるに、毎回の食事の記憶が残らないからなのである。
同じ物を食べてもいつも新鮮な味なのだ。
こうしてみると記憶抜きの「現在のみの人生」もまた実に良い。

記憶は消えても感情の働きはたしか!

記憶された知識や事実を頼りに生きるのが我々「健常者」。
つい先日も私「健常者」は母を大分叱りつけた。するとどうだろう、母は丸二日間、私の前で表情を硬くして、ほとんど話そうとしない。
母も怒っているのである、叱られえたことに対し。しかし何故何を叱られたかは全く覚えていない。
しかし叱られえたこととそれへの母なりの感情は相当に強く残ったようだ。そうそう、痴呆症といっても、その多くは記憶は障害されても感情反応は健在なのである。
あのショート・ステイの時にも他の人と一見かみ合わない会話でも実に楽しかったのは感情的コミュニケーションがあったからなのだ。誕生日に感動したのもこの感情があったから。

この「生き方」も認めよう、楽しもう
痴呆介護秘伝第二条!

 私たちはとかくすると痴呆が治るか治らないかばかり考え、悲観的になる。
治らない痴呆の介護に非常に疲れを感じる。しかし考えてみると、記憶された知識や事実のみを重視する我々の現代がおかしいのかも。
人間、生き物、本来は情緒的コミュニケーションが生の姿。理性や記憶はその道具に過ぎない。
痴呆が生きにくいこの現代が問題。痴呆症の家族とのおつきあいは、忘れていた生きていることの楽しさと価値を思い起こさせる。
彼らのひとつの「生き方」を認めて楽しもうではないか。痴呆介護もまんざら捨てたものではない。疲れるけど・・・

社会資源の活用を!

でも疲れます。
そこでショート・ステイや通所サービスの活用など・・は今度!

~~~読者の広場~~~
『ソリティアと人生』

私の会社は一人に一つずつマイパソコンとマイ電話がある。
もちろん仕事に欠かせないからなのだが、電話はともかくパソコンは、昼休みにゲームという娯楽を提供してくれるありがたい存在だ。
昼休み、ご飯をたべながらソリティアをする光景があちこちでみられる。私もそのソリティア族の一人だが、最近発見したことがある。
それは、客観的に自分のカードを見つめてみると、意外と勝利への道が開けて来るということだ。ソリティアはトランプのカードをめっくいて数字を並べてつなげていくのだが、これがなかなか難しい。
今、開いているカードだけを見ているともうこれ以上は進まない=負け、と思ってしまう。ところが、しばらく食事に専念しながらカードをただ眺めていると、はっとひらめいたりする。これに気がついてから、ソリティアに勝てるようになった。
(F先生の話だと、あれは5回に1は成功するもので、私がゲーム下手なだけらしいが・・・・。)

そして、最近は「これって何だか病気とつきあうことに似ている・・・」と思いながら遊んでいる。
目先にばかり捕らわれていると、行き詰ってしまう。少し離れて客観的に見れば、出口はちゃんと用意されているのにもう駄目だと諦める。
気分の波や激しい落ち込みの中にあるときは、少し離れて自分を見ればいいのでは?意外と抜け道はあるんじゃないか?考えてみれば、これは私が身も世もない程度に落ち込んでいる時に、よくF先生に言われていたことだった。
今までは「そんなこと言ったて!!」と自分の殻にこもってなおさらF先生を困らせていたのに、ゲームから先生の言ってたことがわかったなんて・・・。
先生に言ったらお仕置きかもしれない(笑)。

これから来る秋、私も例外なく調子を崩す季節である。
でも、行き詰ったら少し離れて自分を見てみよう。そして絶対に病気に負けない。
そんなことを、最近考えている。 (春暁眠子)