こぶし

こぶしだより 2004年01月号

2004年 1月号 発行こぶし編集部 第185号 『あるグループホームより』 藤田 毅

謹賀新年
皆さん、明けましておめでとうございます。ニューイヤー駅伝での中国電力勝利や小泉首相の靖国参拝などで明けた平成16年。皆さんにとっては良い年でありますようにと願いつつ、スタッフ一同、精一杯努力いたします。
さて、昨年秋より皆さんには何かと御不自由をおかけしましたが、今年の2月より亀川医師が復帰する予定になっております。辛抱強くお待ちいただいた方々には心よりお礼申し上げます。

老年者人口の増加 少子高齢化時代を迎えて、これから私たちが年を重ねていった後、どのような生活スタイルをとるべきか考えさせられます。お子さんのいない方はもちろんの事、お子さんのいる方でも子供たちが自分たちの老後の面倒をみてくれるという保障はない時代になりました。私たち一人一人が今後の生活についてきちんと考えておかなくてはなりません。その答えの一つがグループホームなどの高齢者施設の利用にあります。
私は開業して8年になりますが、今年初めて老年者のグループホームの定期的往診をすることになりました。大学での研修期間中には、空知地方などで老年期痴呆やせん妄の治療などに携わっていたものの、あくまでも院内での関わりに過ぎませんし、グループホームの往診もこれまでは単発のものばかりで、その生活ぶりを含めた広範囲で長期に渡る関与は未経験でした。
しかし昨年は、内科の武井先生のご厚意によって、あるグループホームに関わることができ、新たな刺激を大いに受けています。

診療=世間話!? そのグループホームには以前より当院通院中の方もおられ、その継続療養と痴呆やせん妄の対処が往診の主たる目的でしたが、何となくいつの間にか精神科的な疾患を有しない方についても面談と称する世間話をするようになっていました。
当初は、疾患を有していない方の面接はただのご挨拶だけになってしまうことも多々あり、意味があるかなあと感じていましたが、やってみるとこれが案外いいのです。
精神科の面談は疾患が何であろうとも治療内容の大半を占めますので、結構診察の後は疲労します。何気ない会話の中から問題を探ろうと試みたり、会話の切り上げ方をどのようにして次につなげようかと考えてみたり、あれやこれやと悩みます。私の場合は技術の未熟さから、その大半は無駄な努力に終わることが多いのですが(笑)、ともかく疲労してしまいます。
患者さんの利益を優先し、かつグループホームスタッフの労力を極力軽減するにはどうするか、そんな事を考えると頭の中は軽い混乱状態です。そんな診察を終えた後に、治療とは直接関係のないお話をするのは、実にリラックスできることに気付きました。
私は元々曾祖母に世話になっていたこともあり、高齢者の方々とのお話は好んでいたのですが、その時のような安堵感が得られて緊張が一気に緩みます。何気ない昔話をして、今の親族の話をして、ここでの生活ぶりを聞きます。勿論、その中から聞き流せない問題点を見つけてしまい、治療につながることもあるのですが、大半はその方の半生を想像しながら"まったりと"した時間を過ごします。正直言うと、そんなのんびりしている時間的余裕はないのですが、自然と気持ちが緩んでしまいます。

人のつながり
こうした時間は、実は皆さんの診療でも重要であり、しっかりとした医療技術の提供ばかりではなく、皆さんとの何気ない会話から信頼関係を築きつつ、皆さん自身の自然治癒力に期待して共に苦悩する事が大切な要素なのです。
その傾向がグループホームの往診では顕著に現れます。そういう状況を察していただいているのか、グループホームのスタッフの方も病状の重い人と軽い人を絶妙にうまく組み合わせて診察順番を決めてくれます。意図的だとすれば、さすがとしか言いようがありません。
高齢者の方と接していていつも感じるのは、人にとって重要なのがやはり人とのつながりだという事です。
昔から精神疾患は対人関係によって作られ、対人関係によって癒やされると言われますが、年を重ね、種々の欲から解放されてきた高齢者の方々と接していると本当にその通りだと実感します。今ここで望んでおられるのは家族を始めとした人とのつながりだけなのですから。

家族について
家族が訪ねてくれる人は幸せです。思いやりを持って接してくれる家族に恵まれている人はもっと幸せです。どんなにスタッフが誠心誠意接していても家族のちょっとした言動には到底かないません。
孤独、不安、寂しさなど、人が抱える負の感情は多々ありますが、それらが与える影響は年を重ねるごとに大きなものになっていきます。
それを生み出しているのは人で、緩和できるのも人だということが重要です。
昨今は家族のつながりが希薄なっているということがしばしば論じられます。
子供との関係、親との関係など、表面的には家族という形態を築いていますが、その内容はというと、生き生きとした情感のこもった関係にはならないことが多いようです。
一人一人が自らの本音を言語化できずに、言語化することによって招くかもしれない家族の不均衡を恐れ、口をつぐんでしまっています。私たちの家はうまくいっていると信じたくて、感じているはずの綻びには触れようとはしない、そんな家族が多くなってはいないでしょうか。
高齢者の望んでいるのが何であるかは分かっていながら、今の生活を優先して、心の片隅では何となく小さな罪悪感を抱きながら、それでも仕方ないなと自分に言い聞かせている。そして気がついたら半年や一年が経っていた、などという状況は決して珍しいものではないと思うのです。
ですが、高齢者も分かっています。余程、前頭葉が萎縮していない限り、そういった家族の掟を理解しています。誰もが好き勝手を言っているようで、本音を言えていない、そんな状況が当たり前になってから久しいように思います。誰が悪いというのでもなく、誰が正しいというのでもありません。いつの間に、私たちはこうした閉息感の中でもがくようになってしまった0のでしょうか。
今年もまた昨年同様グループホームを訪問するつもりです。何を聞いてもニコニコしている方、大声で何かを訴え続ける方、私の相手はしてくれるけれど関心持ってくれない方、誰かが訪ねてくれるのをいつも待っておられる方、色々な方が今日もその人なりの歴史を築いています。また癒やし癒やされの関係を続け、何の役に立っているのか分からない往診を続けていこうと思っています。
あ、そういえば偉そうなことを言っておきながら自分の親はほったらかしでした。親孝行しなくては・・・。 ***********************************

〈食のシリーズ51〉 『へき地より』 ネコ吉   年明け(これを書いている時点では年末)ぼけぼけとしている状態(こたつに足をつっこんで)でパソコンに向かっております。
引っ越しと転職でばたばたと2003年は終わりました。今年はどんな年になるのか、なんて考えると恐い気もします。こぶしだよりを紙面で読まずに投稿しております。なんでだろ~?はもう古いですね。  温泉が周囲にある土地に来ました。
札幌周辺はモール泉なる植物性の成分が含まれた温泉(コーラ色の水色)になりますが(世界的にも珍しいのですよ)、こちらでは様々な種類の温泉にちょっと車を走らせるだけで入る事ができます。
札幌近郊ですとどこの湯もかなり混雑しますが、ここではゆったりと手足を伸ばし入浴してます。
 へき地なる土地と都会との差はあるのかと言えば、実はかなり様々な面においてあると言えます。まず良い面は商店街に活気があること。多くの町で大手のスーパの進出によって潰れてしまったこじんまりとした魚屋、本屋、衣料品店が存在します。
個人経営のお店が元気だと言う事です。ただしコンビニはあります。もう一つは自然が近いこと。鹿や熊が山に入れば見る事ができるそうです。
海も近くここで海水浴をしてしまったら、他の海水浴場は汚く見えるだろうな、なんて思います。そして人間関係は知り合いになってしまえば友達になれる事。
もうこの時点で何回も飲み会がありました。都会ではありえない心の暖かさがあります。

 もちろん悪い事が多いのがへき地です。
例えば情報量の圧倒的な不足を感じます。
都会はただ歩いているだけで情報が飛び込んできますが、積極的に掴みに行かなければ情報にたどり着けません。
テレビはもちろん札幌と同じ番組が見る事ができますし、インターネットも繋げます。もう一つあげるとするならばビデオ屋等やはり札幌ではあたりまえと思っていた店がなかったり隣町まで行かなければないこと。その隣町に行く道は交通事故が多発する峠。冬場は自動車を運転するのが困難のようです。
つい最近も交通事故で親子が意識不明の重体になりました。
まだ意識は回復してません。職場までは歩けるので自動車は遠くに行く週末以外は使わない事にしました。悪い部分を取り上げれば無数になります。
ですから意識して良い所だけみるようにしなければいけません。
 勉強のためにと思って意識してへき地に飛びました。
「修行」なので不便なのは積極的に受け入れ、ここでの限られた時間を有意義にしていこう。
そう露天風呂で空を見上げながら考えました。
ではへき地リポート、お楽しみに。                 (藤田)